親子というもの

2007年2月13日
30歳になるかならないかぐらいまで、母親というものは、うちの母のような、家にじーっといるタイプの母親と、いろいろと活動するタイプの母親との2つのパターンしか無いものだと思っていた。

しおのおかーさんは、働く母。
しかも、バリバリのキャリアウーマン。

学生の頃、しおの家に遊びに行くと、夕方おかーさんがバタバタと帰ってきて、お惣菜や簡単なものを食卓に並べているのを見て、

「しおのおかーさんはなんでも手早くこなすなー。でも、あまり手の込んでいないご飯やお弁当でかわいそうだなー」

なんて思ったこともあった。

我が家の母は、朝早くに起き、お弁当を作るのにも冷凍食品を使うことなく、お手製。

揚げ物もちゃんと朝から揚げてくれた。

お昼にひろげるお弁当を見る、みんなの羨ましそうな目がとてもうれしかった事を覚えている。

よく、おかず争奪なんかもされたな。

制服だって、服だって、ちゃんとノリとアイロンのぴしっときいたものだった。

靴だって、朝ちゃんと磨かれて玄関に並んでいた。

そんな生活があたりまえだと思って30過ぎまですごしていた私は、ええ、なーんにもできない箱入りでした。

仕事に関してもね。

今現在でも、まだ母親に頼って、いいや、まだ依存して生活している。

世間に出て、何も出来ない自分を作り上げてしまった、母を少し恨んだこともある。

社会に出るとあたりまえの事が出来ないって事が、今でもよくある。

でも今は、自分の母に育ててもらって良かったと思う。

上手に表現は出来ないけれど、最近、私と母は親子と言う関係だけではなく人間として、人として付き合いができるようになったからだと思う。

「母親なんだ」と思うと許せない事も、「同じ人間なんだ」と思えば許せる事もある。

逆にかわいいとさえ思えるときがある。

親として見た、母としては、とても失礼な話かもしれない。

親として見なくても、人生の先輩に対して「かわいい」は無いのかもしれないけど(笑)

何となく書きたい事から脱線したような気もするけど、ずーっと専業主婦をしてきた母は、一緒に外へ出ておしゃべりしたり、買い物したり、食事をするなどの出来る友達すらいない。

母の友達は私であり、父であり、私の姉や甥っ子や姪っ子なのです。

自分から、外へ出るという事を辞めてしまった。

自分の息抜きのできる場所、逃げ場所は無い。

そんな事を考えると少しかわいそうな気もする。

でも、我が家の影の主であり(笑)みんなが少しずつ、主のことを気にしながら、大事にしながら生活している。

母もきっと今の自分の生きてきた生活を辛かったとか、大変だったとは思わないだろうと思う。

もちろん、子供の頃に、意味も無い癇癪をまわされたり、こんなところまで干渉しなくてもいいじゃないの!と思うところまで干渉されたりもした。

まだ、私は母親になった事がないから、母の愛とは子供に向けてどれだけ深いものなのかは、わかっていないと思う。

でも、私は母の娘でよかったと思う。

そして、自分の子供をかわいくないと思う母親なんて居ないと思うのです。

例え屈折してても、素直じゃなくても。

・・・ってかさ、昨日しおと話をしてての話を書こうとしたら、なんだかこんな日記になっちゃった。

自分でも何を書きたかったのかわかんなくなったけど、とにかく私はかーさまが大好きなんですよ。

きっとかーさまもね♪

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