小学校の先生

2002年7月6日
私には忘れられない先生がいる。

小学校5.6年の担任だった先生。

石ちゃんと私達は呼んでいた。

当時27歳か8歳くらいだったと思う。

ぴっかぴっかの新米先生。そして、石ちゃんが初めて送り出した卒業生が私達だった。


私達のクラスは毎月『お楽しみ会』という行事があった。

その日は算数や国語なんて授業は無し!

仲良しの友達と出し物をする。

イントロクイズやお芝居や歌を歌ったり、私達はお楽しみ会の為に、友達と今度は何をしようかとワクワクだった。

それが原因で友達と喧嘩もしたし、泣いたし、準備の為に、友達の家へ遅くまでお邪魔したり。

授業では教えてもらえない事を、沢山教えてもらった。


あと、『帰りの会』では、最後にみんなで歌を歌うのだけれども、他のクラスはだいたいが”みんなの歌”や教科書の歌を歌っていたのだけれど、私達のクラスは聖子ちゃんやトシちゃんなんかの、最近流行の歌謡曲だった。

歌詞がわからない時は、クラスの誰かが、歌詞を書き出してくれて、みんなで歌った。

授業だって楽しかった。

ノートの取り方や社会の歴史の調べ方、いままでの先生とは違って、楽しく勉強が出来る方法を沢山教えてくれた。

朝の会が終ったあとに「マラソン計算」というプリントを渡される。

掛け算がびっしりかいてある紙で、毎回同じ問題。

それをみんなで、何分で書き終えられるのかを競争するのです。

でも、毎回同じ問題と思って油断してると、たまに問題が変えてあったり、数字がちょっと違ったり、だから、丸暗記も出来ない。

みんな必死に計算した。

小学校5年の時に掛け算が出来なかった子も、卒業する時には、出来るようになっていた。

遊びながら、楽しみながら勉強する。

勉強はつまらないものなんかじゃない。

そんなことを教えてくれた先生だと思う。

休み時間になれば、石ちゃんが先頭を切って校庭に出て行き、みんなで、ミニバスケをしたり、ドッヂボールをしたり・・・。

マラソン大会でビリッケツになった私に、笑顔でよくがんばったと褒めてくれたり・・・。

とにかく、毎日学校に行くのが楽しかった。

笑顔のステキだった石ちゃんは、私達が卒業する時に初めて泣いた。

そして、私達に

「ありがとう。2年間本当にありがとう」

と言ってくれた。

石ちゃんがありがとうじゃなくって、私達がありがとうだったと思う。
そして、その石ちゃんが、10年前に亡くなった。

私はそれを、5・6年生の時の同級生からの電話で知った。

最初は何を聞いてるのかわからなかった。


石ちゃんは自分の思い出の地で自らの命を絶った。

友達と、

「石ちゃん今、またうちの小学校に戻って来てるらしいよ。今度遊びにいこう!」

と話していた矢先のことだっただけに、余計ショックだった。

私は友達と、斎場へ向かった。

大きな大きな体の石ちゃんの棺は、とってもとってもちっちゃかった。

友達の大事さ、勉強の楽しさを教えてくれた石ちゃん。

石ちゃんはもう、いないけど、あの2年間は私にとって大事な大事な、宝物の2年間です。


◇◆◇◆◇◆

じつは
昨日はお客さんの会社で、パソの設置とLAN接続の作業に1日を費やしくたくたで喜楽へ。

カウンターに座って横を見ると、喜楽の常連さんでよく顔を会わせる小学校の先生(女)でした。

話の途中で、自分の小学校の時の担任の先生の話になりました。

喜楽の常連の先生は、生前の石ちゃんのことをよく知っている先生で、石ちゃんの話で盛り上がったり、しんみりしたりしたのです。

で、今日の日記はこんな感じになりました。


今更だけど、石ちゃんのご冥福をお祈りします。

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